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【ナイナイアンサー 12月19日】最期のアンサー/蟹江敬三ほか [蟹江敬三ほか]

最後のほうで紹介された3人の著名人の最期のアンサーについて
ハイライトでお送りしたいと思います。








俳優

蟹江敬三さん

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2014年3月30日
胃がんのため死去。

享年69歳。



俳優である息子の一平に残した言葉


蟹江敬三「そういやお前は今どれくらい稼げているんだ?」


息子「◯◯◯◯」


蟹江敬三「情けねえなあ」










「それは秘密です」の落語家

 桂小金治さん

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2014年11月3日

肺炎のため神奈川県川崎市の病院で死去

享年88歳。


喋ることさえできなかった桂小金治さんが
妻に残した最期のアンサー


「指で3・9(ありがとう)」



最期のアンサーは落語家らしいものでした。





元TBSアナウンサーの
山本文郎さん

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2014年2月26日、
肺胞出血のため千葉県の病院で死去。

享年76歳。


最期のアンサーは31歳年下の妻にあてたものだった

由美子

「愛してる、ずっと一緒にいたいな」




以上、ナイナイアンサー12月9日に放送された
2014年に天国に逝った著名人たちの最期のメッセージでした。



最後までお読みいただきありがとうございました。



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【ナイナイアンサー 12月19日】最期のアンサー/佐野実 [佐野実]

4人目は・・・

ラーメン職人としてテレビでも人気沸騰した
頑固親父のラーメン店「支那そばや」の店主

佐野 実さんです。


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佐野さんは2014年、4月11日
糖尿病による多臓器不全で川崎市の病院で亡くなられました。

享年63歳。


妥協を許さないラーメン職人としてガンコで恐れられながらも
愛されていた佐野実さん。





「ダメだ!作り直し!」

「今日は店閉めるぞ」

このようなセリフが日常茶飯事に佐野氏のラーメン店では
行き交っていました。





そしてテレビでも話題になったきっかけが、

佐野氏のラーメン店にて

お客さんが、スープを残して店を出ようとした際に、

「スープは最期まで飲んで!」

とお客さんも唖然。


あるいは、ラーメンが食べながらベラベラとしゃべりまくる
女子グループに対して・・・

「べちゃくちゃ喋るな!麺が伸びてしまう」



当時まさかこんな言葉をお客さんに浴びせるラーメン店店主に

私も含め誰もが衝撃を受けたのではないでしょうか。


そんな佐野実さんは、それ以来

ラーメンの鬼として人気が沸騰し、テレビで引っ張りだこなり、

またそんな傍若無人な店主の対応にも関わらずに繁盛するように
なりました。


しかしそんな中、2014年2月に佐野実氏は
糖尿病により、緊急入院


ラーメンの鬼と呼ばれた佐野実さんは、

入院して容態が悪化しているなかでも
ラーメンのことを片時も忘れませんでいた。


そして

佐野氏の奥さんが容態の悪い
本人に対して問いかけました。


妻「何かしてほしいことある?」


すると、佐野氏は・・

「ラーメンが食べたい・・・」


頑に願い続ける佐野氏に折れた奥さんと医師は
仕方なく佐野にラーメンを食べさせてあげるために

病室で弟子に作らせました。



佐野の病体を気遣って普段とは違うスープを薄めたラーメン


そんなラーメンを食べた佐野実さんは・・・









「スープが薄い!!」


「こんなもの店で出しているのか!」


ラーメンの鬼は

入院中に食べさせることができたラーメンにも妥協を許しませんでした。


しかしそんなラーメンにも関わらず佐野氏はそのラーメンを食べ続けました。




時が経ち、末期状態の佐野氏。


奥様はふたたび問いかけました。


妻「今までで一番嬉しかったことはなに?」



佐野
「・・・お前と出会ったことだ」




耳を疑ったが奥様を聞き直した。




妻「他にもあるでしょ2番目は?」




佐野
「2番目も同じ・・・。」




「・・じゃあ3番目は?」



佐野
「3番目も一緒だよ・・・同じこと何度も言わせるな」


これについては
テレビを観ている私的にも「まさかラーメン以外のことなんて」と
驚きました。


そして、そうやって最期のメッセージ(アンサー)を最愛の妻に残し
佐野実さんは静かに息を引き取りました。



後になっって奥様はこのエピソードについて語っていまいた。

「こんなときにまさかそんなこと言ってくれるとは思っていなかったので
 胸がつまる思いでした」




佐野実さんの死語、それから

妻は、「佐野が大事にした店を守っていく」と言って
今でも佐野実さんの店を引き継いでいるようです。


たかがラーメンと思われるかもしれませんが、

感動の物語でした。



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【ナイナイアンサー 12月19日】最期のアンサー/ジョニー大倉 [ジョニー大倉]

3人目は

2014年6月12日に肺がんのため亡くなった
ロックミュージシャンの

ジョニー大倉さん。

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1971年矢沢永吉とともにロックバンド「キャロル」を結成

人気絶頂で順風満帆のなか、2009年に悪性リンパ腫が見つかる。

しかし、ジョニー大倉さんは持ち前のガッツで見事克服し、
退院を果たしました。

しかし、不幸なことに2013年には肺に黒い影が見つかり・・

病名は「肺がん」、

余命2週間と言われました。


しかしさらにまたあきらめず闘病後10ヶ月後に2度の奇跡的復活!


また活動していけると思っていた矢先、
病状が悪化し寝たきりになってしまいました。





死の数日前、自分で生きていたという証を
残したかったジョニー大倉さんは息子に言いました











ケンイチ、立ちたい・・・



親父を持って立たせてあげた。


最期のアンサー

「もう一度ステージに立ちたい」



最期まで不屈の魂を忘れていなかった



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【ナイナイアンサー 12月19日】最期のアンサー/周富徳 [周富徳]

2人目は4月8日に肺炎によりこの世を去った

中華料理人の周富徳さん




周富徳といえば、炎の料理人の番組で人気者になった料理人

テレビ番組のインタビューなどでは独特なテンポと
カメラ目線が面白かったですね〜。

メインパーソナリティーのナイナイの岡村も
実は周富徳のカメラ目線が面白いことを発見して

周富徳さんの技?をパクっていたようですね。



それにしても周富徳氏の考案メニューの
鍋ソバ??って何???

しかし、あのメジャーな
「エビマヨ」
実は、周さんが日本で広げた第一人者のようです。



さらに料理本も多数出版し、
周富徳の半世を描いた本がヒットしました。


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周富徳さんの略歴はというと


1943年の第二次世界大戦のまっただ中、
在日中国人の二世として横浜に生まれる

37歳で系珍郎の総料理人になるという異例の出世


周富徳は小言を言わない男であったが、
料理のこととなると昔からこだわりは半端なかった。



周富徳のたったひとりの弟子.息子の周志鴻(しこう)さん



「料理を粗末にすることは絶対に許さないぞ」と
幼いこと何度の親父の富徳から平手打ちを3発

パンパンパン!とくらっていたようです。


あまりにも厳しすぎる周富徳、そんな親父に対して
同じく中華料理人の道を目指し、父の料理店で修行していた
周志鴻は、実の父のことを「周さん」と呼ぶまでに。


息子は常に雑用係


親子でも乗り越えられない壁が・・・


そんな時、

「おいお前!なんだこのチャーハンは!?」

「なんて味付けしてんだ!こんなの中華じゃない」


かなり当たりの強い父親であった。


先輩料理人たちに料理を教わりながらなんとか
学んでいった。

料理人を目指して20年間、周富徳は
息子は許したことは一切なかった。


しかし
肺炎のなったことで闘病生活がはじまった周富徳。

「俺がいなくても青山の店は大丈夫か?」

闘病生活の入院中も常に中華のことは忘れなかった。


一時退院した周は、
病のカラダにムチ打って、息子が働いていた
店に訪れた。

しかし、息子の前を無言で立ち尽くしたまま、
そのまま店を立ち去った周富徳。

これが自分の店を訪れた最後の日だった。



その後、病状が悪化し再入院するが、
改善することもなく4月8日



そんな周富徳と、息子の志鴻。

実は志鴻が思いも寄らぬ感動の事実が父の死後に発覚した。








実は周富徳は、

ひそかに兄弟子(あにでし)たちに息子の指導を頭を下げてお願いしていた。

チャーハンも実は兄弟子の前では
「ようやくまともな中華が作れるようになった」と絶賛していた


そして、番組の調査から発覚したこと、


周富徳が生前、自分が経営してきた志項の働く店に訪れ、

周が無言で立ち去った訳・・・・

それは「よし、お前にこの店は任せたぞ」

「今日のチャーハンはうまかった」


それが最期の周富徳さんの言葉でした。


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【ナイナイアンサー 12月19日】最期のアンサー/春一番 [春一番]

12月9日放送されたナイナイアンサー見ましたか?
今回は、今年2014年に逝去された芸能人ほか有名人が生前死の間際に家族や仲間に残して
最期のメッセージについて特集が組まれていました。


そこで数回にわけて、著名人たちの最期のメッセージ(アンサー)について
まとめました。

それではまず1人目は・・・・


「あやちゃん、そんな悲しい顔しちゃだめでしょ」

酒の魔力に負けたのまね芸人の

 春一番さんです。

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「道はどんなに険しくても笑いながら歩こうぜ、ダーーー!!」
とアントニオ猪木のモノマネが持ちネタだった春一番さんは

2014年7月3日、47歳の若さで急死されました。

そんな春一番さんの妻・あやさんに残して最期のメッセージは・・・

  「ごめんね ありがとう」

死の前夜、いつものように寝床について春一番と妻のあやさん、
枕元でささやいた言葉でした。

そのわずか4時間後、顔面蒼白で冷たくなっている春一番を見た

ほっぺ触った時に心臓が停まっている
と感じすぐさま救急陽性。

春さん?どうしたの?

まさか死ぬなんて思っていなかった。


その命を奪った病の正体は・・・・












夫の死から5ヶ月
ワンルームマンションに引っ越した

そこには春さんが愛した酒とたばこ。

そしてお骨がまた置いてあった。

あやさんが見せてくれたのは、

春一番の宝物であるネタ帳が入ったカバン・・・



仕事中にも酒、酒、酒の

酒浸りで、四六時中酒を飲んでいたため

仕事に遅刻することも。


見かねた、妻あやさんは、禁酒を促すが、

そうこうしているうちに、

芸能事務所を解雇されることに・・・


1日バーボン1リットル
ワイン3本を飲み干すことになった。


酒に救いを求めた結果、

春一番は緊急入院、

腎不全、肺気胸、肝硬変など


3ヶ月半の入院生活後、あやさんの献身的な看病で

奇跡的な回復をみせて退院。


しかし、妻に内緒で酒を飲んでいた。



そして最終的に眠るようにして奥さんの前で
息を引き取りました。



猪木のものまね芸人春一番が肝硬変のため死去・・・・
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